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燃え尽きる!

ギリヤーク尼ヶ崎の大道芸に畏敬の念を抱いた夜に自分の半端さに落ち込んでしまった。

ギリヤーク尼ヶ崎氏は知る人ぞ知る舞踊家で自称、大道芸人。
はっきり言って舞踊に対しての見地のない小生なんぞに
彼の舞踊に芸術性を見出すことはできない。

しかし、現在86歳、歩くことも儘ならぬパーキンソン病の氏の執念たるや、
凄まじいものがあった。

毎年10月に定期公演をなさるのだが、ガリガリにやせ細った五体不満足の
人の手を借りないと儘ならない車椅子の日常生活を送る氏の念仏じょんがらは
異空間から舞い降りた彼の支持者たちが憑依したかのように舞う。

情念的で動物的で宗教的で古代の呪術のような……ただただ美しい気色悪さが
感動的で涙が出てきた。

とにかく、小生が失った一芸に対する情熱が凄まじかった。

このギリヤーク尼ヶ崎をEテレで観た夜、感動と忸怩たる思いとが複雑に絡み合って
何とも言えない…悔しい夜を過ごした。

俺の情熱はいつ消えたのか?
老後の心配をしてる場合ではない!探そう情熱を!  
甲斐完治 ただいま64歳……

※ギリヤーク尼ヶ崎 幼少時より、門附芸人や角兵衛獅子などの大道芸に親しむ。また器械体操を行っており、1946年の国民体育大会では体操競技の北海道代表となった[1]。市立函館中学卒業。当初は映画俳優を志し、21歳で上京して各映画会社のオーディションを受けるものの、「なまりが強い」としてすべて落選する。青年時代は邦正美に師事して創作舞踊を学び、全国合同公演に参加するなど舞踊家として活動する。しかしなかなか芽が出ず、警備員やビル清掃の仕事で糊口を凌ぐ[2]。 30代になったころから自らの芸を極めるため大道芸に転向、1968年に38歳で初めて街頭公演を行う。以後「鬼の踊り」(命名は画家の林武)と称される独特の舞踏が賞賛を受け、「最後の大道芸人」(実際に最後というわけではなく、前時代的なプロフェッショナル意識に対する賞賛の意)と呼ばれる。1975年以降はフランス、アメリカ、韓国、サハリン、中国など海外での公演も実施、1981年から文化庁芸術祭にも参加。 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災に強い衝撃を受け、同年2月17日に被災地神戸市長田区の、焼け野原になった菅原市場で鎮魂の踊りを舞う。ギリヤークが「南無阿弥陀仏」と叫ぶとともに、被災者のお年寄り達が一斉に合掌。その雰囲気に圧倒され、ギリヤークは初めて演技を間違った。そして同時に、自らの踊りの本質が「祈り」であることを悟ったと語っている。これ以後、自身の芸風も「鬼の踊り」から「祈りの踊り」へと変化したという。
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